2012/09/10

人生のフラグ

「人生はクソゲーだなー」、という人には、じゃあ面白くなるようにコーディングすればいーんじゃねー、と言いたい。ある程度、自身の介入が可能なゲームですよ、人生。まぁ、クソゲーの山から良ゲーが生まれることもあるし、社会全体としては釣り合いがとれているのかも。

さて。

ふと自分の人生について、ちょっと考えてみた。仕事が煮詰まって現実逃避バックグラウンド処理が自動的に走っている結果だと思うけど、まぁ、それは気にしない。

僕は、ハタから見ると完全な理系バリバリの技術者系人生を歩んでいると思う。自身では自分をどうやっても技術者とは思えないのだけど、まー、それは置いておくとしても、理科的な世界は好きで数寄で仕方が無いのも事実。もうね、宇宙とか量子とか超スゲーと思うのね。ボルツマンとか聞くとワクワクするよね。するでしょう?ネジとか旋盤とかフライス盤も好き。オシロスコープ買って、自宅のあらゆる電子製品の波形とか見たいよね。突入電流とか。超見たいよね。今もヤフオクをチェックしては、あんなクソ重たい計測器をどうするんだ?バカじゃないのか?とも思うのね。

で、人生には分岐点というか、まぁフラグがありますよね。で、私に理系フラグが、バチコーンと建ったのは、多分6歳ぐらいのときです。

ウチの父さまは、なんというか、オモチャの類、テレビ、マンガなどなどを買い与えてはならないという主義の人でしてね。で、そこは6歳な訳で、まぁ、ヒマでヒマでね。宿題とか、ほら、すぐ終わっちゃうし。まー、父様が当時購入していた少年ジャンプとヤングジャンプは隠れて読んでいましたが。

ほんでもね、オモチャ欲しいじゃないですか。5歳ですよ5歳。で、親戚のケンちゃんが壊して使えなくなったオモチャとかもらってたのね。キン消しは、当時キン肉マンがあまり好きじゃなくなったので、持ってませんでした。アシュラマンの目がキラキラしていたのを見て冷めた。

で、もらった壊れたオモチャの中に、やたらとデカイピコピコ系潜水艦ゲームがありましてね。当時、僕はそれを直そうと思ったんですね。

はい。フラグ来ましたね。

そのゲーム機を分解して、もういっかい組み立てて、また分解して、色々弄って、もう一回組み立てて、動作テストしてみて、、を延々繰り返したんですね。もうね、楽しくて楽しくて。なんで、電池で動くんだろう、ダイオードが光るんだろう?どうして、このツマミを回すと、自機が移動するんだろう?どうして?なんで?うわ、動いた、スゲーなにこれ。ヤダ、楽しい。

以降、私は、壊れた電化製品をバラしては戻す、ということを繰り返しました。

好奇心(何故?)、コレを動かしてみよう(試行錯誤)、あー、コレはこのスイッチになっているのか!(帰納的理解)、じゃあ、コッチの回路に電池をつないでみよう(仮説)、うへぇ、バチッって言った!(仮説検証)

幼少期のこの一連の仮説検証の体験は、私に本能的に「すべてのモノには仕組みがある」と理解させませした。すべてのモノには、その本質を探求するに値する価値がある、だって、こんなに楽しいもん!、と意味もなく思えたのです。

これは、大きなフラグでした。

あとは、フラグ通りの人生を歩んでいるような感じです。この世界は、知っても知っても、知らない事だらけで、わからない事だらけで、障害だらけ。でも、いつか到達できる、という確信を持てるのは、この幼少期の原体験があるからとおもいます。

ヒマと壊れたオモチャでフラグを立ててくれた父様には、少しだけ感謝しています。

2012/08/20

Amazon.com と楽天koboについて

宿題でAmazon.com をちょっと調べることになりました。といっても、財務諸表をザッと読んだだけです。

で、財務諸表ですが、米国証券取引委員会のページに行くと、すぐに見つかります。サラリと読んでみると、自分がイメージしていたAmazon像とは微妙に違う印象が浮かんできます。例えば、売上規模と粗利。粗利は22~24%で、売上規模は1.2~2兆円クラス。売上比率も半分は国内で、そんでもって半分は電化製品売上です。

で、その半分の電化製品売上の方を考えてみます。

Amazonというと、なんというか、WEB系の会社のイメージがあって、で、そいつらの常道である、粗利が高くて損益分岐が低く、売りは少なくても利益率が高いのニッチ、スキミングで行きまっせ、的なイメージを勝手に持っていましたが、財務を見る限りは至って王道の小売業なんですよね。ですから、規模の経済を優先、というのが王道。

で、Amazon て、調達、流通、販売が自前なんですよね。まぁ、規模の経済を追求するとそうですわね。でも、それには、巨額の投資が必要ですね。さすがに調達はJITになりつつあるそうですが、ってコレもまさしく、Walmartと同じ形態なんですよね。というかですね、この品揃え数と売上規模を見ていくと、「Amazonって卸+小売」なのね、と気づくのです。つまり、中抜きモデルなわけです。

で、卸レベルの小売になるためには、そりゃあもうエライ投資が要るんですよね。楽天なんかとは真逆ですね。王道中の王道。だから、なかなか参入したいと思わない。今から参入しても美味しくないから。

今後はBestbuyとかのシェアを食っていくんでしょうね。

さて。もう半分のMedia(書籍)部門。書籍って特殊な製品ですよね。

  1. 他の製品に代替できない
  2. 故に膨大な品揃えが必要⇒店舗面積が必要⇒在庫リスク大
  3. 重い、嵩張る、面積必要⇒流通コスト、販管費大⇒粗利低い

もうなんというか、デカくて重くてリスク大な製品です。手を出したくないですよね。bezosはそこに目をつけたんでしょうね。上の1,2を解決するために販売店を無くし、ネットでのみ書籍販売するようにしたんですね。だから、品揃えを維持しつつ店舗コスト、在庫リスクを下げる方法を考えた。

で、3つ目ですよね。そもそもデータを売れば、流通コストはゼロです。粗利が高くて笑いが止まらない商売になるはずですよね。でも、そこには大きな障壁がある。それが書籍リーダー。これにコストが掛かるようでは、誰も使わない。だから、赤字あるいは剥離で売る。

本は品揃えが大事。だから、品揃えを増やすために、出版の取り分を増やし、安売りして、ユーザーに買ってもらう。これも薄利。

しかし、10冊程度買ってもらうことに成功すると、以降、その人はamazonからしか本を買えなくなる。DRMがある以上、他のプラットフォームに移ることは、できなくはないが、非常に面倒くさい。だったら、もうkindleでいいや、となる。電子書籍はスイッチングコストが非常に高い製品なんですね。

で、楽天koboですよね。売り方がyahooBBと同じですね。とにかく安くリーダーを提供し、最初の数冊を買って欲しい。一回囲い込んでしまえば、不具合でまくろうが、値段がちょっと上がろうが、他のプラットフォームに移るのが面倒くさくなる。ただ、yahooBBと同じで、光通信のように更に圧倒的な価値を提供するものが出てくると、駆逐されてしまいますね。あるいは出版がこのことに気づいて、DRMを外そう、という連携を見せれば、さらにシフトするような気もします。

で、amazonに戻るのですが。北米の電子書籍販売ルートの85%を握ってしまったので、もう北米では誰も太刀打ちできない状況とおもいます。問題は、日本です。彼らは、どれぐらい日本の書籍市場を本気で攻めようとおもっているのか、謎です。

私なら、マーケットの大きさよりも、US以外の英語圏を攻めよう、と思います。書籍の場合品揃えが大事で、電子書籍の場合は、最初の一歩が大事なので、日本の出版とネゴっている時間があったら、欧州を攻めたいところです。

というわけで、amazonの動向は引き続きwatchです。(結論は無し)

2012/06/25

補正

世の中にはいろんな補正がある。制御の世界でもよくある。テーブル使ったり、一時期はファジーなんかも流行りました。

最近気になっているのは、思い出補正とか、思い込み補正とか、妄想補正とか、勘違い補正とか、つまるところの、「人は自分の見たいものしか見ない」系の補正と、昔は良かった、自分はもっと能力が高い、今まで誰も傷つけたことはない、という、「都合よく記憶を改ざん」系の補正。

どちらも、目的は一緒で、自分が楽したいから、とか、自分の悪いところは見たくないから、という、自己防衛機能の一つとしての補正機能。よほど気をつけない限りは、勝手に無自覚に、そして自動的に発動する。回避する方法は、まー、いろいろあんでしょうけど、基本は、いろいろと疑ってみる、というところでしょうか。

さて。

ここに、上記補正能力マックスの人が居たとしましょう。彼は、どういう選択をし、どういう人間になっていくか、というと、自分の言う事が正しく、自分の欠点には気づかず、故に、どこまでも知識も技能も低く、でありながら、そんな自分に最大補正をかけるためには、他人は等しく全て自分には及ばず、聞く耳を持たず、また、補正をかける根拠として、自分だけは宇宙で一番すごい、とか厄介な方のプライドを身に着ける、ということになるんだろうなー、と思います。なんというか、あまりお近づきになりたくないタイプの人です。

しかし。本人は至って幸せです。そりゃそうです。あらゆる現象を自分の都合が良いように解釈し、嫌な事はきれいさっぱり忘れ、人を傷つけることはあっても、自分が傷つくことはない、というほとんどチートに近い状態です。魍魎の函で、最後に函を持ち去った人と同じですね。アレです。中学二年生的な表現をすると、最強オブ最強です。フォルティッシッシモって感じです。

そこでふと考えるのです。果たして、どちらが人として幸せなのだろうか、と。他人などかまわず、ただひたすら、自分を愛し続けることは、私には到底受け入れられない行動基準ですが、でも、そこまで割り切れれば、きっとバラ色の世界が待っているような気もするのです。酒とバラの日々がそこには待っているはず。でも、きっとそれは幻想。でも、幻想に浸りきってしまえば、それは現実、と。

あちら側、人でなしが見る世界は、きっと楽しいに違いありません。でも、結局、私はいつも、そう思いながら一歩が踏み出せず、こちら側の世界、一般人が、悩んだり困ったり諦めたりそれでも頑張ったりする世界に留まっています。結局、私は、そんなに補正が効かない世の中で、適度な補正を効かせながら、適度に軋みながら生きていくしか、それぐらいしか、知らないんですよね。うん。仕方ないよね。

という空想。ナイーブな中学生が思いそうな妄想で、中身は何もないけど、そういう空想は、脳を休めるのに結構効果的だと思う。思う。