「人生はクソゲーだなー」、という人には、じゃあ面白くなるようにコーディングすればいーんじゃねー、と言いたい。ある程度、自身の介入が可能なゲームですよ、人生。まぁ、クソゲーの山から良ゲーが生まれることもあるし、社会全体としては釣り合いがとれているのかも。
さて。
ふと自分の人生について、ちょっと考えてみた。仕事が煮詰まって現実逃避バックグラウンド処理が自動的に走っている結果だと思うけど、まぁ、それは気にしない。
僕は、ハタから見ると完全な理系バリバリの技術者系人生を歩んでいると思う。自身では自分をどうやっても技術者とは思えないのだけど、まー、それは置いておくとしても、理科的な世界は好きで数寄で仕方が無いのも事実。もうね、宇宙とか量子とか超スゲーと思うのね。ボルツマンとか聞くとワクワクするよね。するでしょう?ネジとか旋盤とかフライス盤も好き。オシロスコープ買って、自宅のあらゆる電子製品の波形とか見たいよね。突入電流とか。超見たいよね。今もヤフオクをチェックしては、あんなクソ重たい計測器をどうするんだ?バカじゃないのか?とも思うのね。
で、人生には分岐点というか、まぁフラグがありますよね。で、私に理系フラグが、バチコーンと建ったのは、多分6歳ぐらいのときです。
ウチの父さまは、なんというか、オモチャの類、テレビ、マンガなどなどを買い与えてはならないという主義の人でしてね。で、そこは6歳な訳で、まぁ、ヒマでヒマでね。宿題とか、ほら、すぐ終わっちゃうし。まー、父様が当時購入していた少年ジャンプとヤングジャンプは隠れて読んでいましたが。
ほんでもね、オモチャ欲しいじゃないですか。5歳ですよ5歳。で、親戚のケンちゃんが壊して使えなくなったオモチャとかもらってたのね。キン消しは、当時キン肉マンがあまり好きじゃなくなったので、持ってませんでした。アシュラマンの目がキラキラしていたのを見て冷めた。
で、もらった壊れたオモチャの中に、やたらとデカイピコピコ系潜水艦ゲームがありましてね。当時、僕はそれを直そうと思ったんですね。
はい。フラグ来ましたね。
そのゲーム機を分解して、もういっかい組み立てて、また分解して、色々弄って、もう一回組み立てて、動作テストしてみて、、を延々繰り返したんですね。もうね、楽しくて楽しくて。なんで、電池で動くんだろう、ダイオードが光るんだろう?どうして、このツマミを回すと、自機が移動するんだろう?どうして?なんで?うわ、動いた、スゲーなにこれ。ヤダ、楽しい。
以降、私は、壊れた電化製品をバラしては戻す、ということを繰り返しました。
好奇心(何故?)、コレを動かしてみよう(試行錯誤)、あー、コレはこのスイッチになっているのか!(帰納的理解)、じゃあ、コッチの回路に電池をつないでみよう(仮説)、うへぇ、バチッって言った!(仮説検証)
幼少期のこの一連の仮説検証の体験は、私に本能的に「すべてのモノには仕組みがある」と理解させませした。すべてのモノには、その本質を探求するに値する価値がある、だって、こんなに楽しいもん!、と意味もなく思えたのです。
これは、大きなフラグでした。
あとは、フラグ通りの人生を歩んでいるような感じです。この世界は、知っても知っても、知らない事だらけで、わからない事だらけで、障害だらけ。でも、いつか到達できる、という確信を持てるのは、この幼少期の原体験があるからとおもいます。
ヒマと壊れたオモチャでフラグを立ててくれた父様には、少しだけ感謝しています。