先日、私の上司でもあり部下でもあり、たまには先輩であり、たまには後輩であった方が退職することが決まった。簡単に言えば、仲間とでも言うのだろうか。とにかく、最も一緒に仕事をしてきた私が幹事となって彼の送別会を開くことになった。
普通の社内の異動とは当然違うし、何しろ十数年という決して短くはないであろう月日を過ごしてきた会社を去るのだから、少しばかりの気持ちを込めて送り出すのが礼というものだろう。
そこで私は贈り物をすることに決めた。私が人に贈り物をするというのは、今年の母の日以来ではなかろうか。私は存外にずぼらな性格であるからして、とにかく記念日や記念品といったものを贈るにあたって、ずぶの素人と言っても過言ではないのである。
さて、何を贈るべきか。
私は考えた。三日三晩考えた。正確には27時間ほどであったと記憶しているが、何しろ人の記憶は曖昧であるので、表現も三日三晩とした方が都合が良いのである。そして、私は答えを得た。
さて、当日の会場は、彼の性格も考慮して、静かな飲み屋を選ぶことにした。隠れ家的な飲み屋であり、前を通ったぐらいでは、ホウムズのような注意深い人間でも無い限りその存在に気づくことはない。
案の定、店の場所がわからないだの、道に迷った、などの苦情の電子メールが私のIPHONEのメモリ上にストアされることになったが、私は、彼への花束を買うために、花屋にて奮闘していたため期待に添えることができなかった。しかし、私は信じてもいた。彼らなら必ず見つけ出す。彼らは私などよりも遙かに注意深く、思慮深く、それでいて大胆不敵でもある、つまるところ優秀の二文字で表すことが可能な人達だからだ。だから、私は目の前の勤めに集中した。
さて、大きな花束を両手に抱えて、少しばかりの照れ笑いを浮かべながら私は会場へと向かった。どうして、花束をもつと、こう照れくさいのであろうか。私は、花が似合う男子になりたかった、と刹那考えてもみたのだが、私の右脳のニューラルネットはその想像をイメージ化するほどには、クラスタが発達していないようだった。第一、どういった男子が花が似合うというのだろう?少女漫画の美形男子であろうか?疑問は尽きず、私のアタマは「そも花が似合うとはどういうことなのか」といった、哲学的な香りがするようなしないような無意味な思考に支配されていた。
さて、数分歩いて到着した会場には、既に参加者が集まっており、空気が暖まっていた。さすがである。私は思わず「ブラァボゥ」と呟いたほどだ。そういった前提で、私は会の開催を宣言し、しばしご歓談の程をよろしくお願いした。
人に歴史あり。十数年という年月は、星や生命の進化に比べれば一瞬であるが、我々人間にとっては、それで人生が大きく変わってしまうほどの年月とも言えるだろう。我々は昔話をし、武勇伝を聞き、そしてこれからの事を話した。彼のカレーライス武勇伝については、機会があったら、また書くことにしよう。いやはや、やはり彼はすごかったのだ。
さて、退職ともなれば、当然、転職先はどういったところなのか、といった興味は誰しもあるだろう。当然、この会社を辞めて次はどこへ行くというのか、いつ決めたのか、なぜ辞めようとおもったのか、といったおきまりのクエスチョンが発せられた。詳細はプライベートを考慮して省く。ただ、彼は、転職先については明かさなかった。しかしながら、これまでの経験はあまり生かせることは無いが、それでも彼個人のスキルが生きる職種であると語った。心配ではあるが、今後の彼を信じることにしよう。それ以外に何もできない。
さて、最後に花束と贈り物を渡すことになった。これは、私のような腕毛が生えているおじさんよりも、女性に渡してもらう方が良いと思い、我が部の紅一点に頼むことにした。勿論、こういったことを性差別と受け取る方も居られるから、「いやならやらなくていいんですよ」と一言付け加えることも忘れない。彼女は空気を読むスキルが高いともっぱらの評判であったからだろうか、快諾してくれた。